●第5回TPPと共済 国公共済会事務理事 松渕秀美

TPPを離脱し、国民の安全を守ろう


6つの判断基準は実質「努力目標」に

 日本は、マレーシアで7月15日から開かれるTPP交渉の会合に23日から参加することが決定しました。原発の再稼動や消費税増税と並んで、TPP問題は参議院選挙の大きな争点になっています。安倍自民党が昨年の総選挙で掲げた公約は、『政府が国民の知らないところで、安易な妥協をしないように、@国民皆保険制度は守る、A食の安全安心の基準を守る、B国の主権を損なうようなISD条項は合意しない等、6つの判断基準を掲げ』ていました。ところが安倍首相は、3月15日に「聖域なき関税撤廃」は前提でないことをオバマ大統領との間で確認できたとして交渉参加を発表しました。どうやら自民党の公約も民主党に劣らず選挙用のもののようです。そして、今度の参議院選挙での自民党の公約は『TPP等の経済連携交渉は、交渉力を駆使し、守るべきものは守り、攻めるべきものは攻めることにより、国益にかなう最善の道を追求し
ます』となっています。国民の命と健康を守る国民皆保険制度や食の安全安心、自民党内からも異論のあるISD条項も、具体的な記述は一切ありません。これでは、「聖域なき関税撤廃」を前提としないことも含めて努力目標に格下げしたことになります。

ISD条項は「毒素」条項

 さて、別名、毒素条項と言われているISD条項ですが、これは、企業と国家の紛争処理に関する条項です。元々は、多国籍企業が投資ルールの確立されていない途上国に資本を投下した後、途上国の政策変更で一方的に不利益を被るか被る可能性があるときに、途上国の裁判所では途上国に有利な判定が出ることが考えられるため、特定の国際機関に損害賠償を訴えることができる仕組みです。近年、多国籍企業の利益を優先した賠償金支払いの事例が増えているため、この条項を先進国同士の経済協定に導入することについて危惧する声があがっています。
 日本もこれまで東南アジア諸国とISD条項を含んだFTAを結んできました。幸いにして、双方とも相手国を訴えるような事案は発生していないから危惧する必要はないと(昨年の金融総行動で)金融庁は回答しています。しかし、危惧されているのは、米国の多国籍企業から公共の福祉や国民・住民の安全安心を無視して国や地方公共団体が訴えられる危険があるということです。そして、アメリカの多国籍企業は、過去に結んだ二国間・多国間での経済協定を研究して多国籍企業の利益が拡大するように、逐一、条文に口出しをおこなっている(TPP交渉の担当者に企業の利益代表を送り出す、強力に働きかける)のです。

ルール作成は少数のエリートが独占

 実際にISD条項が発動されると、どういうことが起こるのか、事例を通して見てみましょう。米国の石油大手オクシデンタル社が南米エクアドルを相手取って起こした訴訟で、エクアドル政府に18億ドル(金利を含めると23億ドル)の賠償金を認める裁定が出ました。エクアドルで操業していたオ社は1999年に@石油採掘権を政府の許可なしに他者に譲渡しない、A無許可で譲渡すれば採掘権は停止される―という内容の契約をエクアドルと結びました。ところが翌年オ社は、採掘権の4割をカナダの企業に譲渡しようとしました。そのためエクアドルはオ社との創業契約を2006年に終結させました。これに対してオ社は、米エクアドル投資条約のISD条項を発動させ、仲裁機関であるICSID(投資紛争解決国際センター)に提訴しました。提訴理由は、@「公正・公平な取り扱い」の義務をエクアドルが果たさなかった、A契約違反があっても契約を終結させるのは「均衡を欠く」―等の理由を挙げていました。そのうえICSIDは、契約が破棄されなかった場合の「将来予想される利益」までも賠償額に加えたのです。
 契約を破ろうとした企業が勝つようなことが、どうして起こるのでしょうか。ICSIDの仲裁人は3人で、企業側が1人、投資受入国側が1人、3人目は双方の合意で選ぶことになっています。一見、公平なように思われますが、実態はどうでしょうか。これまで国際紛争機関(投資紛争解決国際センター、国連国際商取引法委員会、ストックホルム商業会議所仲裁協会、国際商事会議所など)が取り扱った紛争450件の55%にあたる247件を、わずか15人(欧米系)の仲裁人で扱っていたのです。この15人の関与は賠償請求額が多くなるほど高まり、1億ドル以上で64%、40億ドル以上で75%を占めています。前記のオ社とエクアドルとの紛争では、このうち2人が担当していました。15人の内のひとり、米国のダニエル・プライス氏は、米通商代表部の幹部(平たく言うと米国企業の利益代表)を努め、北米自由貿易協定(NAFTA)の交渉ではISD条項の作成に直接携わっています。その後、法律事務所に移り、ISD裁判に関わっているのです。ISD条項には明文化されていないルールもあり、ルールづくりに参画した少数の(それも顔見知りの)エリートだけが承知しているため、専門に扱っていない弁護士らの参入が難しくなっています。すなわち、受入国側が仲裁人を選ぼうにも、はじめから企業の利益代表人から選ばざるを得ない状況にあるのです。

グローバルを金看板に国の主権を蹂躙

 ISD条項は訴えられるだけでなく、訴えることもできるのだからフィティフィティだ、という意見がありますがどうでしょうか。国際貿易開発会議の5月の報告によると、1993年から2012年に提訴された紛争のうち公表されているものだけで514件。このうち、北米自由貿易協定(NAFTA)関係で米国が訴えられて米国が負けたのは0件、米系企業がカナダを訴えてカナダが負けたのが6件、同じく米系企業がメキシコを訴えてメキシコが負けたのが5件になっています。これでもフィティフィティと言えるでしょうか。
 また、豪州政府は世界一タバコに対して厳しく規制しており、全てのタバコのパッケージは警告文と健康被害者の写真で統一するという禁煙政策をおこなっています。これに対してフィリップモリス社の香港法人は、豪州と香港との投資協定に基づいて「特許権の侵害に当たる」とISD条項を発動させ、仲裁裁定がおこなわれています。今度のTPP交渉で豪州は、ISD条項を盛り込むことに反対していますが、直接ISD条項を含んだ協定がなくても、協定を結んでいる国の現地法人を利用して訴える方法があるということです。いずれにしても、グローバルという名のもとで多国籍企業に主権が蹂躙されるようなTPPから離脱するのが一番懸命な策ではないでしょうか。そのためにも、21日投票の参議院選挙は重要な選挙になりそうです。 (7月8日入稿)

参考文献
日豪プレス(nichigopress.jp)2012.8.31「豪経済 たばこ箱規制」
「地域医療の命運かかるTPP問題」武藤喜久雄氏 「経済」7月号
しんぶん赤旗日曜版 6月16日号、6月23日